When we are sixty-four…(パート3)

長々と記してきたこのシリーズもこれでお終い。
Beatlesリマスター版CD発売記念スペシャル!(どの辺がスペシャルやねん!)
 
さてさて、中学生4人が集まって作られたどこにでもあるバンド、Woodstock・・・一人一人が楽器の練習をしているだけでは飽き足らず・・・4人合わせでの練習とあいなります。
今でこそバンドの練習といえば、あちこちに貸しスタジオがある訳ですが・・・当時は音楽的に進んでいたはずの京都でも数えるくらいしかありませんでした。
そして、Woodstockはといえば・・・皆の少ない小遣いを出し合ったところで、練習代など捻出出来るはずもありません。
そんな状況で彼らはどのように練習したか?
そうです。メンバーの家で練習していたのです(^_^;)
第一回目でも書きましたが、じょーじの家は子供部屋だけが全く別な場所にあり、日頃から誰彼構わず溜まる遊び場だったのです。
ならそこでやっちまおう!と。
あまりにも無邪気過ぎて、清々しさすら覚えます(^_^;)
当時のじょーじの家は、阪急電車の某駅から徒歩1分てな感じでしょうか。
そんな場所で、いくら窓や戸を締め切っているとは言え、ドラム・ベース・ギター2本という編成で音を出す訳ですから静かなはずがありません。
 
本当に近所の皆さんにはご迷惑おかけしました・・・と、今ここで謝ってもなんの意味もない訳ですが(^_^;)
ただ不思議な事に、じょんの記憶では、練習中ご近所が怒鳴り込んできたというような記憶がないのです。
皆さん日頃からの阪急電車の騒音でデカい音には馴れっこになっていたんでしょうかね(^_^;)
 
当時は皆楽器を買うだけで精一杯でアンプなどを買うお金すらありません。
じょーじの家にあったベースアンプに皆がプラグインし、そこから音を出していたように記憶しています。(ボーカルはステレオに繋いで・・・みたいな)
今とは違って、本当にものも情報もなかった時代ですが、今よりももっと音楽を演奏するということに対して喜びを持っていたようにも感じます(勿論今も喜びは感じてますけど)
 
とにかく音を皆で出すだけで楽しいという、純粋の極みのようなバンド活動でした。
皆Beatlesが好きで、自分達がBeatlesの曲を演奏しているというだけで、高揚感に満ち溢れていたのです。
決して「バンドをやったら女子にモテる」とか・・・そんなことは・・・これっぽっちも・・・いや、少しはなかったといったらウソになる・・・いや、大ウソだ(^_^;)
 
そうやって練習を重ねていくWoodstockですが、彼らは結成当時からある一つの目標を持っていたのです。
それは彼らの学校で毎年行われている文化祭での出し物「ヤング四条」への出演だったのです。
何とも、前時代的なネーミングですが・・・しょうがないんです・・・前時代のお話ですから(^_^;)
このヤング四条、持ち時間の中で生徒達が思い思いのパフォーマンスを展開できるという企画で、それこそフォークソングあり、ポムバトンありといった何でもありのステージだった訳ですが、中でもロックバンドの演奏というのは当時花形でありました。
彼らの通っていた中学校は当時在校生1500名!というマンモス校で、ヤング四条が開催される講堂は全校生徒が一度に入りきれるほど大きなものではありませんでした。
ですのでヤング四条は1年の部、2年の部、3年の部と3回行われていたのです。(講堂には1学年ずつしか入れる余裕がなかったのです)
 
ヤング四条でこの”花形”を狙ってWoodstockは日夜練習に励むのですが、そこには大きな壁が立ちはだかっていました。
それは・・・予選です。
目立ちたい盛りの中学生にそんなステージが用意されているのですもの・・・そりゃ皆出演したがりますよね(^_^;)
そこで、学校側では予選を行いそれに勝ち残ったパフォーマー達だけが栄えあるヤング四条のステージに立てたという訳です(^^)
 
中学2年になり、彼らもようやく何曲か形がつくようになってきていたとはいえ、未だ人前で演奏したことなどありません。
そんな彼らがどうやって予選を突破したのか?
実はじょんはその頃の様子を良く覚えていません(^_^;)
ただひたすらにがむしゃらに練習した記憶はあるのですが、何かそれに向けて対策や戦略を練ったとかそんな記憶が全くないのです。
 
予選会当日は一般教室だったか、音楽室だったか定かではないのですが頭の中が真っ白になるくらい緊張したのを覚えているだけ・・・とのことです(^_^;)
彼らがヤング四条に向けて練習した曲は3曲、「Rock’n Roll Music」、「A Hard Days Night」、「She Loves You」の3曲です。
予選会が終わったあと担当の先生から結果が伝えられました。
結果は・・・「合格!」
このときの喜びを今でもじょんは忘れていません。
 
3年生という強敵が並み居る中、2年生のWoodstockが出場できたのですから!
もっとも、審査員の先生はじょんの担任の先生だったという”おまけ”があったりしますので、本当に彼らの実力だけで出場できたのかどうかは怪しいところですが(^_^;)
 
今手元に残っているヤング四条のテープ(というかデータ)を聞いてみると・・・じょんは明らかに緊張した声です。
その他のメンバーも勿論緊張しています。(ドラムとか引っ繰り返りそうになってるし(^_^;)
あっという間に過ぎ去った15分×3ステージ。
歴史のどこにも載っていない、極々ありふれた個人史ではありますが多少の違いはあれ当時の少年達はこうやって音楽を経験し、その魅力にとりつかれ今に至っているのです。
 
この後、じょんは中学3年の途中で仙台へと引っ越します。
最初のうちこそ連絡を取り合っていた仲間達ですが、そのうち連絡も途絶え、いつしかお互いの所在すら判らなくなってしまいます。
それから30年以上の年月が流れ、彼らは偶然出会います。
 
仲間内の一人がネットでじょんの事を検索し、発見したのです。
互いに色々なことがあった30年を経て再会し・・・今日に至っています。
そんな中でじょんが何より嬉しかったのは、当時の仲間達が皆元気にやっていること。
そして・・・じょんの人生を変えたじょーじが、変わらず音楽を続けていたことでした(^^)
 
月日や状況がどんどん移ろう中で、お互い変わらずに持っていたもの・・・それが音楽・・・即ちBeatlesという「体験」なのです。
 
この話はこれで終わりですが、我々のストーリーはまだまだ続きます。
じょんにもじょーじにも、まだまだ立ち向かっていかなければならない音楽の道があるのですから。

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